ミッドナイトスワンは感動ポルノ&マウント商法!感想とネタバレ

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いかにも当事者じゃない人が作っている薄っぺらいLGBT映画。適当なあるあるエピソードを並べただけの話で、基本ネガティブなところしか描かない駄作です。25点

ミッドナイトスワンのあらすじ

映画『ミッドナイトスワン』925秒(15分25秒)予告映像

武田健二は生まれ故郷の広島を離れ、東京で女性として別の人生を歩んでいた。東京では凪沙の名前を名乗り、ニューハーフショークラブで働いているのに対し、親と電話で話すときだけ男の声で応じていた。

凪沙は頻繁にクリニックに通いホルモン注射を打ち、性転換手術のためにお金も貯めていた。そんなある日、凪沙のもとに親戚の娘、一果が訪ねてくる。一果の母親が育児放棄したため代わりに凪沙が面倒を見てくれるようにと頼まれたのだった。

凪沙は子供が嫌いだった。対する一果は虐待を受けてきたからか完全に心を閉ざし、人と話したがらなかった。

一果は東京で転校することになり、凪沙が親代わりになって学校に連れていったが、凪沙の風貌を見てからかう生徒たちも少なくなかった。

まもなくして一果はからかってきた男子に向かって椅子を投げてしまう。凪沙は学校から呼び出しを受けたが学校で何があろうが自分に知ったこっちゃないと出向くことはしなかった。

凪沙は自分が生きていくことで精一杯だった。そんな中、一果は街で見かけたバレエ教室に興味を持ち、体験をレッスンを受けたのを機にバレエにのめり込んでいく。

ミッドナイトスワンのキャスト

  • 草彅剛
  • 服部樹咲
  • 田中俊介
  • 吉村界人
  • 真田怜臣
  • 上野鈴華

ミッドナイトスワンの感想と評価

読者のらすこさん、アスナさんのリクエストです。ありがとうございます。 

「身体を売ったらサヨウナラ」、「ダブルミンツ」、「下衆の愛」の内田英治監督による、トランスジェンダーの主人公と、バレエダンサーの親戚の子の心の交流をつづった人間ドラマ。

感動すると話題になって日本で大ヒットした作品だそうですが、正直どこが泣けるの?っていうレベルのダメダメ感動ポルノでした。

プロットはトランスジェンダーの苦悩とダンサーのサクセスストーリーを掛け算したもので、いわば「リトルダンサー」と「チョコレートドーナツ」のストーリーをミックスしたかのような使い古しのものです。

それが日本ではさも今の時代にマッチした斬新な衝撃作であるかのような受け取り方をされているのには失笑するしかないです。

もちろんプロットがこんなでも演技や脚本が良ければいい映画になるポテンシャルは十分にあるでしょう。しかし肝心な演技についてもそもそも草彅剛は元SMAPだから、服部樹咲はバレエができるから、という理由で起用されたとしか考えられない、それはそれはお粗末なパフォーマンスをしていました。

ごくごく一般人に「オネエの真似してみて」ってリクエストして即興でやってみた演技が、まさに草彅剛の演じる凪沙です。わざとらしい女言葉。不自然な動き。とても長年、自分を女性だと自認してきた人の身のこなし方じゃないです。

あれなら本物のトランスジェンダーのタレントがたくさんいるんだから、そういう人たちにチャンスに与えて本人が実際に体験してきた苦悩を演技で吐き出してもらって表現するのがベストなわけで、こんなところでジャニーズ枠使うんじゃねえよって思います。

ナチュラルウーマン」とか「ガール」とか「リリーのすべて」とか、「わたしはロランス」とか、考えさせられるトランスジェンダーの映画はたくさんあるんですよ。それが日本はこれですか、と。これが日本を代表する現代のLGBT映画なんですか?

注目してもらいたいのは二人の泣き演技です。草彅剛は中盤にソロの泣き場があり、まるで子供が泣き真似をするかのように「えーん、えんえんえん」とか言ってるんですよ。まじか? 

対する服部樹咲も「しくしくしく」みたいな感じだし、脚本の文字をそのまま読んでるだけじゃねえかよって。

これで二人とも日本アカデミー賞を受賞したっていうんだからもうやっぱり演技がどうこうのレベルじゃないんだよね。演じる側も見る側も審査する側も総じて低レベルだから物差しがぐにゃぐにゃになってるんだもん。

序盤は凪沙と一果をあえて仲悪くさせて、終盤に心を開かせて感動を狙うっていう手法がバレバレすぎてストーリーは誰でも読めてしまうでしょう。

そもそもバレエのパートいりますか? 一果がトントン拍子で上達していって、わずか数年で海外で活躍するほどのバレリーナになる必要ある? バレエを舐めんなよって。

傷ついた二人、社会に居場所のない二人をできるだけ不幸に、可哀そうに見せて、どちらかを最後に死なせれば、大抵のピュアな日本人視聴者は泣くからねっていうノリで作られてるのも気に障ります。

凪沙が最後に死ぬ必然性ないでしょ? 病院行けよって話なわけで。セリフの中でまで「病院行こうよ」とか言われてる登場人物なかなかないよ。自虐ギャグですか?

性転換手術をするぐらいの人間が、なんで自分の死が迫っているのに頑なに病院に行かないんだよって。女として生きていきたいから手術したんでしょ? もう死んでもいいやって簡単になるような人間がそんな大変なことわざわざしないから。それにタイの性転換手術ってハンダゴテ使うんですか? あれ家にあるのと同じやつだけど。

友達が屋上から飛び降りても、誰もそれについて触れないのにはびびりましたね。せめて一果はもっとなんかいうことあるでしょ。バレエシューズももらって、キスまでして、いい感じなのかと思ってたら、大した友達でもなかったんでしょうか。なんだったらレズ路線でもっと話を膨らませれば一果が凪沙に理解を示したり、分かり合えることにも説得力が増すんだけどね。

あとなんで実家のシーンでちょっと凪沙が押されたら、服がびりびりに破れておっぱい丸出しになるのか理解できません。あんな服が売ってるならぜひプレゼント用に買いたいんで店を教えてもらえますか。

キャミソールを着てて破けちゃうならまだわかる。でも冬場のコートを着てるときに突き飛ばしてもなかなかおっぱい丸出しにはならないぞ。あいつは実家にどんな格好で来てるんだよって。ブラジャーしてなかったの? 

ビーチに行くと、ちょうどいいところに大木が落ちていて、寄っかかれるようになっていて、ああここで死ぬんだなあ、というのが分かっちゃうのも恥ずかしいです。あんなところで死なれたら残された方がその後の処理とか手続きとかいろいろ大変なのに、それを未成年に託すってなかなかの無責任だと思うよ。

あと、日本なのに叔父さんと親戚と思春期の女の子の距離が近すぎるのも気持ち悪いです。あなたは中学生、高校生にもなって叔父さん、叔母さんとハグしたり、頭撫でてもらったりしましたか? 添い寝したりしました? しないよね。じゃあ映画の中でもやめようよ。そういうわざとらしさが満載で、いちいち出来事が不自然なんですよね。

なぜこの映画がトランスジェンダーの凪沙の苦悩だけを描かなかったのか、というと単純にそれだけでは一本の映画を作るだけのアイデアや力量が監督にないからです。だからそこにDVを受けた悲劇の少女を持ってきて、凪沙と少女の交流を描くことで、ある意味テーマに向き合わずに済むんですよね。

これでトランスジェンダーの一生を描けたって言えますか? 言えないでしょ? 見せることといえば不幸エピソード一辺倒で、まるでトランスジェンダーの人は不幸だって決めつけてるじゃん。この映画こそが偏見の塊なんですよ。

最近よくある可哀想マウント商法ですね。Youtube見たらわかるけど、最近この手のチャンネル多いでしょ。シングルファザーチャンネルとか、日雇い労働者チャンネルとか、手取り15万円アラフォーOLチャンネルとか。

あらゆる設定を駆使して大変さや苦労をアピールして視聴者に可哀想って思わせたら勝ちみたいな手法です。マウントを取るのが好きな日本人はそこに歪んだ優越感を感じるんですよ。それでそういう人たちは他人を可哀想だと思いながら感動している自分を優しい人間だと錯覚して悦に浸るのです。だからこういう映画が受けるんです。

この映画があざといのは一見してLGBTに対する偏見やDVといった問題取り上げているようで、実はそういった問題をダシにして、そういった問題とは無縁の人たちに「可哀想」って思わせるところにフォーカスしている点です。これこそが偏見社会日本の闇なんですよ。

あのな、言っておくけど、お前ら、ひと様の人生が可哀想って思えるほど大層な生活送ってねえからな。

コメント

  1. ジュゴン より:

    いつも楽しく拝見してます。

    この映画を観て、俺が思った事を全部言って頂いてありがとうございます(笑)
    とにかく全てが薄っぺらくて辟易する映画でした。
    ラストも「やっぱりこうなるのね」的な予定調和で、感動も驚きも全くなく、最後まで無心で観てました。

    「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥや「リリーのすべて」のエディ・レッドメインの演技を観てしまうと、草なぎ君の付け焼刃感満載の演技が際立ちますね。
    本当に実力のある役者はメイクや衣装の助けがなくても、ゲイであったりサイコパスであったりどんなキャラクターにもなりきれるものだと思います。

    この映画もテーマは良かったと思うので、「恋人たち」の橋口亮輔監督が手掛けて頂いたらもっともっといい映画になっただろうと思います。

  2. シャインマスカット より:

    映画男さん今晩は。私も先日、本作品を視聴しました。私は「良かった」と感じた作品でしたが、確かに映画男さんが指摘なさる点は、引っかかりました。

    まず、一果と実母の沙織の再会が、凪沙と一果を引き離す「舞台装置」扱いになってしまったように感じます。どこでどう実の親子が「変わった」のか、もっと過程を丁寧に描いた方が良かったように感じました。

    沙織は表面的には優しく振る舞っているものの、根はヤンキーのままです。あの母親では、娘のバレエには反対しそうです、例えいくら才能があっても。
    そのため、なぜ沙織が一果の夢を応援するようになったのか、そしてどうやってバレエの費用を捻出したのか謎でした。※ バレエ講師は、凪沙には「月謝免除」と伝えるシーンはありましたが、沙織とバレエ講師とのやり取りは作中では描かれて無かったように思います。

    さらに、実家での掴み合いで、沙織と凪沙は「絶縁状態」にあるはずなのに、中学卒業後に一果が凪沙に会うことを「許可」しているのは唐突でした。この辺はもう少し描き込みが必要だと思います。

    また、りんの描写も、唐突で不謹慎な演出に感じました。人間はこの世に絶望すると、「ハイ」な気分になり、もう誰の言葉も響かなくなるというのはよくわかりますが、「屋上での結婚パーティー」という場面で、その後の展開が予想できてしまったのは残念でした。結婚式という幸せな場面で最大の不幸に叩き落とす、ある意味「両親への復讐」だったのはわかりますが。
    コンクールの本番、一果は一瞬「座席にいるりん」を見て何かを察したように見えましたが、その後、りんを思い出す描写が無いのは不自然でした。

    最後に、凪沙が「女性の体を手に入れるためにタイで手術を受けたが、メンテナンスを怠ったために、敗血症と失明の悲劇に襲われた」シーンですが、今の性転換手術のレベルではこういった重篤な症状になることはほぼなく、悲劇的に描きすぎという批判が相次いだそうです。私は医者ではないので断言できませんが、このシーンを観て、性転換手術に恐怖心や偏見を持つ人がいないとも限りません。

    確かに、性転換手術にはリスクがあるとの報告はなされているようですが、それは肉体的なダメージよりも精神的なダメージの方が強いそうです。(体の変化へのストレスや周囲の人間の無理解など) 最も、ラストは凪沙と一果の「共依存親子」の因果を断ち、一果が白鳥として旅立つための結末だったのかもしれませんが、あれでは凪沙のようなトランスジェンダーの方を「悲劇的存在」として捉えかねない危うさを感じました。

    個人的には、「病院に入院しながらもテレビや新聞、SNSで一果の活躍を知って喜ぶ」結末、「帰国した一果と凪沙が再会する」結末も見たかったです。

    • 映画男映画男 より:

      おっしゃる通りで、大事なところは描写がないのに、余計な描写が多く、なおかつ突っ込みどころが多いですよね。母親の気分、意見がコロコロ変わるのも謎でしたね。

  3. シャインマスカット より:

    お返事ありがとうございます。

    そうですね、特に一果と沙織については心情がはっきりしない&不安定なシーンが目立ちました。

    個人的にはハッとするシーンはありましたが、同時に引っかかる点も目立ったように思いました。

    これからも宜しくお願いいたします。