動画配信サービス徹底比較!

面白い映画が見れるVODってどれ?

答えはこちら

ファニーゲーム U.S.A.はうなされるほど怖い!ネタバレと感想

この記事は 約4 分で読めます。

stasera-in-tv-funny-games

寝る前に見たら夢でうなされること間違いなしの恐怖映画。上映時間中、ずっと凶悪犯に監禁されたような気持ちになる超本格派ホラー。80点(100点満点)

ファニーゲーム U.S.A.のあらすじ

別荘で過ごすアン(ナオミ・ワッツ)とジョージ(ティム・ロス)夫妻のもとに、ポール(マイケル・ピット)とピーター(ブラディ・コーベット)と名乗る青年が訪れる。ふてぶてしい訪問者の態度に業を煮やしたジョージがポールのほほを平手打ちすると、突然二人の男は凶暴な顔を見せ、生死をかけたゲームをしようと告げるが……。

シネマトゥディより


読者のオレンジモンキーさんのリクエストです。

ファニーゲーム U.S.A.の感想

97年に公開されたオーストリア映画のセルフリメイクです。監督は「白いリボン」、「愛、アムール」などで知られるミヒャエル・ハネケ。

この人の作る映画は見ていると怖くてヘトヘトになります。「隠された記憶」も心理的にジワジワ恐怖が来る映画でしたが、本作はビジュアル的にもシチュエーション的にもゾクゾクしました。

物語は金持ちの別荘に次々と侵入し、強盗殺人を働いていく二人組みのサイコパスの話で、その大部分が拉致監禁のシーンに割かれているのも、ヘトヘトにさせる原因ですね。

ある日、家族の家に卵を貸してくれないかといって身なりのきれいな白人の青年二人がアンとジョージ夫妻の家にやってきます。青年たちはとても礼儀正しく、ご近所さんの友人という態で家に入りますが、卵をあげるとすぐにその卵を床に落として割ってしまい、まだ家に卵が残っているはずだからもっと欲しいと言います。

彼らの要求が図々しくなったところでなにやら不穏な空気が流れ、なかなか帰ろうとしない二人を不審に思った夫婦は彼らを家から追い出そうするものの二人の態度が豹変し、それから何時間もの間、拷問を受けることになる、というのがストーリーの全貌です。

それにしてもこんなに怖い映画は久しぶりに見ましたよ。出演者たちの演技が上手すぎです。特に変質者の青年二人のキャラクターがリアルで恐ろしかったですね。

ナオミ・ワッツやティム・ロスといった有名どころの二人も安定感があってさすがとしか言いようがありません。ボロボロになったときの表情なんかは日本人俳優だったら真似できないレベルです。

この映画にリアリティーを感じられるかどうかは、家に強盗が入ることをどれだけ意識できるか、想像できるかにかかってきそうです。おそらく治安の悪い国で生活している人々にはそれが容易でしょうが、もしかしたら自宅に鍵すらかけないような平和ボケした日本人には難しいかもしれません。

ある日、突然家に何者かが侵入してきて一晩中監禁される。こんなことが僕の住むブラジルでは起こりうるし、実際にそういう目に遭った人も何人も知っているので、僕にとってはこの映画の出来事は他人事ではありませんでした。

家の物を盗られるだけならまだしも、もしゲーム感覚で強盗をやる変質者に当たったらそれこそ悲劇でしかないです。一晩中拷問を受け、挙句の果てには一人ずつ目の前で家族を殺される。そんなことが今の世の中でも普通に起こってしまうのが人間社会の恐ろしさです。

劇中の犯罪者二人はこれでもかというほど家族を精神的にもてあそび、また肉体的に暴力を食わせていきます。その痛みや苦しみがそのまま視聴者に跳ね返ってくるような演出で、監督の徹底したサディズムが見え隠れします。ときおり青年二人が視聴者に向かって話しかけてきたり、突然場面が巻き戻されたり、どこか視聴者をおちょくっているようにも見えます。

散々侮辱を受け、人間としての尊厳を奪われたかのような胸糞悪い気持ちになりたくないんだったら、この映画は見ないほうがいいでしょう。ただ、人をそこまでの気持ちにさせる映画ってそうないですよ。

コメント

  1. オレンジモンキー より:

    リクエストに応えていただいて、ありがとうございます。
    相当怖いということがよく分かりました。
    少し興味があって借りてみようと思ったのですが、やっぱりやめておきます。
    映画男さんのレビューで大変満足しました。
    ありがとうございました。

  2. 鈴木 敬 より:

    視聴者に向かって話しかけてきたり、突然場面が巻き戻されたり、どこか視聴者をおちょくっているようにも見えます。

    この場面が暴力を定型化してきた私達に向けて、投げかけたものだと考えた。
    暴力を虚構
    (アメリカのヒーロー映画、テレビの殺人ニュース等)と
    現実を区別せず、いつの間にか混同していませんかと。
    こうなるだろうと予測する。逃げられただろう。
    犯罪者は罰せられるだろうと。
    裏切られたことで気付かされた。
    だからアメリカでリメイクする意義があったのだと。
    逆に理解したくない人にとっては、見ても意味が無い。
    胸糞悪い気持ちになるだけである。
    人をそこまでの気持ちにさせる映画で賛美するだけである。
    それは虚構(この映画の世界だけ)で満足したままではないだろうか。

  3. エロい人 より:

    トイレのピエタ以来の久しぶりのコメントです。
    この作品は僕の生涯の心に残る一本であります。

    まず最初のオープニングでの突然気が狂ったようなパンクロックでのタイトルが素晴らしい!

    その後の卵シーンのサイコパスのしつこさ… もう帰ってくれ!!!と叫びたくなりますよ。

    ハネケやクローネンバーグ作品は大衆受けしずらいですが、これは堂々たる好きな作品ですよ。

    • 映画男 より:

      エロい人さん

      この映画は本当に怖かったです。犯人たちの性格の悪さが見ててつらかったです。

  4. ソム より:

    僕この映画の予告を小学4年生くらいのときにDVDショップで見たんですが、すごい記憶に残ってますね。幼心地にぼーっと見てたら、急に予告が様変わりしだしてw。その日は寝るまでビクビクしてました。今あらためてレビューを拝見して、なんだか見たくなってきました。そのうち借りてこようと思います。

  5. たまこ より:

    リクエストです!

    ウディ・アレン監督のミッドナイト・イン・パリをお願いします。

  6. より:

    この映画をよく、現実の暴力の酷さを啓蒙しているという類いの感想を観るのだが、それには全く賛同できないし、その意見は僕には意味がわからない。
    何故ならこの映画は現実の暴力を何一つ描写していないからだ。
    あのサイコパス二人は虚構性のメタファーに思える、事実、メタ発言も多い。
    暴力の主体(二人組)がフィクションであることを自己言及している以上、現実の暴力の残酷さなんてものを感じるのは無理がある。
    それが狙いならコンクリ詰め事件でも台湾アイドル惨殺事件でもナチスでもスターリンでも史実の殺人を実写化しているだろう。

    この映画は結局、フィクションの馬鹿らしさを戯画化していると考えるのが妥当ではないだろうか?
    つまり大衆暴力娯楽映画の御都合主義と痛快な暴力を総動員した一方通行なシナリオへのアンチテーゼとして本作はあるのではないか?
    大衆暴力映画が観客の期待する快楽的展開へ向けてシナリオが一方的に展開するように、この作品は大衆が期待しない不快な展開へ向けて御都合主義全快で一本道を奔走する。
    そこに現実の持つ不確定性はない。
    現実の暴力とは不確定でどんな理不尽も結果でしかない。

    あの問題のリモコンのシーン、荒唐無稽の極みであり馬鹿馬鹿しく不快なシーン、ここで普通の人はこの映画を馬鹿馬鹿しいと思うだろう。
    少なくとも僕は思った、あまりに荒唐無稽だと。
    結局、何をしても無駄じゃないかと。

    この映画の不快さはシナリオの理不尽さに向かうようにできている。
    そして、この映画は大衆暴力映画と全く同じ構造をしている。
    結局、この映画に馬鹿馬鹿しい不快だと思うことは、僕達が大好きな大衆暴力映画が馬鹿げているということに直結してしまう。
    この映画は普段、快楽のベールに包まれ意識することのない大衆暴力映画の持つ一方通行な、ときに荒唐無稽なシナリオの不確定性の欠如、つまるところ虚構性を、類比的に露呈させ風刺しているのではないか?

    そうであるならば、この映画に馬鹿げている意味がないと感じることに逆説的に意味が生まれる。
    不快さに興(快)が見いだせる。
    不快さ、無意味さという認識に逆説的に興を持たせる。
    メタ認識のレベルで興を実現することで逆説というパラドックス的な趣向を実現している。
    そう考えられる。
    メタ演出という意味でのメタフィクション、そして認識のメタレベルでの趣向という意味でのメタフィクションという二重のメタフィクションなのではないか?
    このメッセージ手法の優れた点は、おしつけずに観るものに大衆暴力映画を楽しむことを強制的に自己批評させる点ではないだろうか?

    この映画は
    お前はこの映画に荒唐無稽だといらついたよな?
    ならそれは、大衆暴力映画も荒唐無稽だって認めることになるよな?
    とつきつけているように感じる。
    一見かっこつけの衒学的映画に思えるが実は非常に奥深く滋味掬すべき作品であると感じる。

    家族が能動的抵抗をせず、ほとんどただ居ることしかできない状態は観客が映画を観ることしかできずシナリオに介入できない状態にリンクしている。
    観客は家族に感情移入するようにつくられている。
    であるからこそ、観る者を不快にすることを念頭においていることがよく分かる。

    ところで、あのサイコパス二人の殺人の目的は時間潰しであるように感じる。
    さっぱり目的が解らない彼らだが、自らを映画のキャラと認識し映画の外に現実があることを知る彼らは虚実の境界における超越論的認識者であるといえるだろう。
    そんなメタ的存在として映画内の時間を弄び遡行的に現実を塗り替える全能性と映画の内部に囚われる無力さを併せ持つ彼らは時間に固執している。
    映画内の午前9時に拘っている。
    この時間は何か、恐らくは映画の終わる時間だろう。
    エンドロールを迎える時間だ。
    彼らは映画のキャストとして映画を終えなければならない。
    だからその時間潰しをしていた。
    と考えることができる。

    虚構性を揶揄するための虚構のメタファーとしてうってつけのように思える。