思い出のマーニー

manie

ジブリが世界中の子供たちを暗くさせるために作ったとしか思えない、憂鬱と不幸の押し売り物語。ぜんそく持ちの少女と、金髪少女マーニーによる気持ちの悪いやり取りが絶えられませんでした。18点(100点満点)

あらすじ

心を閉ざした少女杏奈は、ぜんそくの療養を目的に親戚が生活している海沿いの村にやって来た。そんなある日、彼女の前に誰もいない屋敷の青い窓に閉じ込められた、きれいなブロンドの少女マーニーが姿を見せる。その出会い以来、杏奈の身の回りでは立て続けに奇妙な出来事が起きるようになるが、それは二人だけの秘密だった。

シネマトゥディより

文句

アカデミー賞ノミネート作品」です。最近、ジブリ映画がアカデミー賞の常連になってきましたね。あの賞にはジブリ枠が一つあるんじゃないかと僕は疑っています。あるいはそれだけ他所の国のアニメのレベルが低いということもあるでしょう。同じくノミネートされている「父を探して」も結構ひどかったし。

さて、この映画ですが、開始早々いきなりトーンが暗いです。主人公が開口一番「私は私が嫌い」なんて言うアニメの世界ってなんですか? これを子供に見せて、ジブリの連中たちは一体何がしたいのでしょうか。普通に明るく楽しく過ごしている子供たちの幸せを奪う気ですか?

ストーリーを追っていくと、不幸エピソードのオンパレードです。主人公の杏奈は病弱で喘息持ちで、両親は亡くなっていて、養子として血の繋がっていないおばさんに育てられている、そのことがずっとトラウマになっていておばさんには心を開かず、学校では友達ができず、一人ぼっちで苦しんでいる、といった設定です。

それはディズニー映画のシンデレラが継母や義理の姉たちにいじめられているといった不幸とは種類が全く違います。なぜならシンデレラはどんな困難にも立ち向かっていく前向きな女の子であるのに対し、杏奈は最初からメソメソ嘆いてばかりで、周囲をげんなりさせるからです。

うそ臭い幸せなエピソードもつまらないんですが、うそ臭い不幸な設定はもっといらないんですよ。誰が救われるんですか、この話で? なんか今の日本社会を象徴しているようで嫌ですね。病気持ちで不幸なエピソードのほうがネタになるみたいな風潮。コミュニケーション障害なんですって言ったら、失礼なことをしても許されるみたいなノリ。

だんだん病気とか、不幸話とかが肩書きみたいになってませんか。この前なんて「こう見えて僕はEDなんです」とか言ってきた奴もいましたよ、誰も聞いてないのに。

正直、杏奈がぜんそくである必要がほとんどないじゃないですか。ぜんそくだから空気のきれいな田舎にやってきた、というストーリーのつなぎにしか使われていませんよね。冒頭で発作を起こして寝込んだりしたのも、ただの「病弱で可哀相な女の子」というイメージを視聴者に植えつけるだけの戦略でした。

そして最後まで「この子は可哀相な子」戦略が続きます。どういうわけか「おばさんが安奈を育てるために自治体から援助をもらっているから可哀相」なんだそうです。安奈はそれを隠しているおばさんが許せないんだそうですよ。なめてますねえ。

そんなポイントで子供が怒り出すってやばくないですか。そのうちどの家庭の子供も「お母さんは子供手当てが欲しくて私を生んだんでしょ? 私より子供手当てのほうが大事なんでしょ?」とか言い出しますよ。

あんなポイントで怒るような子供だったら、もうなにやってもウジウジ生きていくでしょうね。それを生まれとか育ちのせいにされてもね。

安奈は「おばさんは本当の家族じゃない、なんで自分には本当の両親がいないんだ」とか嘆いているくせにマーニー(お婆ちゃん)のことばっかりで、自分を生んでくれたお母さんのことは全く覚えていないってダメ娘にもほどがあるじゃないですか。あんなに幻覚ばかり見ているんだったら想像で創り上げろよお母さんを。お前はマーニーと遊んでる場合じゃないんだよ、エミリと遊べ、エミリと。

それにしても誰もマーニー、あるいはお父さんがどこの国の出身なのかは教えてくれませんでしたね。あれだけゴリゴリの金髪で青目の少女と仲良くなっても安奈は「この屋敷にずっと住んでるの?」とか「兄弟はいるの?」とかアホみたいな質問ばかりしていましたね。

なんで「あなたはハーフなの? どうして日本語が話せるの?」って聞かないんですかね。まずそこが気になりませんか。それとも北海道の田舎では金髪で青目の女の子が日本語ペラペラでも普通なのかな。あれでマーニーの日記が全部フランス語で書かれていたら面白かったんですけどね。これじゃあ誰も読めねえじゃねえかよっ言ってね。