
前半が絶望的に退屈で、後半に入ると徐々にエンジンがかかっていく作品。最後に「そんなバカな」なエンディングが待っていて、それをどう評価するかで意見が分かれそうです。50点
ブゴニアのあらすじ
ミシェル・フラーは、製薬コングロマリット「オーキソリス」のCEO。大成功している彼女は、豪邸で独り暮らししていた。一方、陰謀論者のテディ・ガッツは、ミシェルが「アンドロメダ人」と呼ばれる悪意ある異星人種族の一員であり、彼らが地球のミツバチを殺し、地域社会を破壊し、人類を無感覚な隷属状態へと追い込んでいるのだと信じ込むようになっていた。テディの母サンディは、かつてオーキソリスの新薬の臨床試験に参加しており、その副作用で昏睡状態に陥っており、そのこともテディに陰謀を信じ込ませることに少なからず関係していた。
そんな中、テディは自閉症のいとこドンとともにミシェルを誘拐する。彼らはミシェルを自宅の地下室に監禁すると、頭を剃り、他のアンドロメダ人に救難信号を送れないよう、全身に抗ヒスタミン軟膏を塗りたくった。テディは、間近に迫った月食までの4日以内に、アンドロメダ皇帝との会談を取り付けるよう要求する。月食の際には、アンドロメダの母船が地球の大気圏に探知されずに侵入できるというのだ。
ミシェルを電気で拷問した後、テディは彼女が感電に対して異常に高い生理的耐性を示したことを理由に、彼女こそアンドロメダ王族の高位の一員だと確信する。テディとドンは厳重な監視のもとでミシェルを地下室から解放し、夕食に招く。緊張感に満ちた食事は激しい取っ組み合いに発展するが、ミシェルを捜していた地元の保安官代理であり、テディの幼少期のベビーシッターでもあったケイシーの到着によって中断される。ドンはショットガンの銃床でミシェルを殴って気絶させ、再び地下室に連れ戻して床に鎖でつなぐ。一方テディは、裏庭の養蜂場を見せることでケイシーの注意をそらす。
意識を取り戻したミシェルは、テディを警察に通報するならドンを助けると申し出る。しかしドンは、ただミシェルと一緒に宇宙へ行きたいだけだと答える。ミシェルが連れて行くと約束すると、ドンは混乱し、思わぬ行動に出るのだった。
ブゴニアのキャスト

- エマ・ストーン
- ジェシー・プレモンス
- エイダン・デルビス
- アリシア・シルヴァーストーン
- スタヴロス・ハルキアス
ブゴニアの感想と評価

「籠の中の乙女」、「ロブスター」、「聖なる鹿殺し」、「女王陛下のお気に入り」、「哀れなるものたち」などで知られるヨルゴス・ランティモス監督による、陰謀論者と製薬会社社長による心理バトルをブラックユーモアを混ぜつつ描いた誘拐サスペンス。アカデミー賞ノミネート作品です。
ある製薬会社の女社長を宇宙人だと信じてやまない、頭のイカレタ陰謀論者が自閉症の従弟と結託して誘拐を働き、女社長を監禁して宇宙の皇帝と交渉させようとするというのが話の流れです。少人数キャストで構成された会話劇で、1時間以上が陰謀論を肯定する者と否定する者のディスカッションになっていてかなり退屈で眠くなります。それでも途中まで我慢すればまあ最後までは見れる作品に仕上がっていました。
そして後半に入ってくるにつれて徐々に物語が動いていき、ラストに大きなオチが待っている構成になっていて、いわばオチ重視の映画ですね。それは言い換えると、オチを予想できてしまったら最後、特にサプライズがないという意味でもあります。
あまりにも陰謀論者による「こいつは宇宙人だ、人類滅亡を企んでいるんだ」というフリの会話が続くので、それほど感が良くない人でも、オチが分かってしまうのも問題でしょう。それでも多くの人は「そんなまさか!」と驚くのでしょうか。
ヨルゴス・ランティモス監督は気持ち悪くてちょっと怖いのが売りみたいなところがありますよね。しかし本作は、怖さはあまり感じられませんでしたね。気持ち悪さはあったかなあ。どうだろう。拷問やグロテスクなシーンもあるんだけど、怖いというより、不快感が勝りましたね。血が出るシーンは大げさにコントみたいなグロさを演出していたし、ユーモアもサスペンスも中途半端な感じもしました。
評価するべきところはやはりエマ・ストーンの演技でしょうか。「哀れなるものたち」の彼女もすごかったけど、本作も安定した好演を見せていましたね。特に後半部分ね。ただ、エマ・ストーンの演技を見るためだけに、この映画にお金を払う価値があるかどうかといったら微妙ですね。
物語の中では、蜂がなにかと象徴的な存在として描かれていました。陰謀論者のテディは蜂を絶滅寸前に追い込んだ張本人として製薬会社の女社長を挙げ、彼女を目の敵にしていましたが、女王蜂を中心に明確な役割分担のもとに、個よりも全体の秩序を保ち、維持と繁栄を優先する群れの集団である蜂は、人類が本来あるべき理想の姿だとテディは考えていたのでしょうか。最後に蜂が戻って来たのも、○○の存在をなくしたほうが地球に秩序が保たれるといったようなニュアンスが含まれていると解釈しました。
いずれにしろラストに全ての皮肉とブラックユーモアが集約されているので、なんとなくカタルシスを得た気分になれるという意味では一定数のオーディエンスは満足感を得られることでしょう。その一方でエンディングまでの過程を楽しみたい視聴者には物足りなさが残るんじゃないでしょうか。僕は後者でした。


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