2015/04/30

神は死んだのか(原題 GOD’S NOT DEAD)

gods-not-dead

マイナス1500点(100点満点)

ストーリー

大学に入学したばかりのジョシュ(シェーン・ハーパー)は哲学クラスの授業初日、ニーチェなどの無神論者を信奉するラディソン教授(ケヴィン・ソーボ)か ら神はいないという宣言書を提出するように言われる。単位が取れないと危惧した生徒たちは宣言書を提出するものの、納得できないジョシュだけは拒否。そん なジョシュに対して教授は、生徒たちの前で神の存在を証明して見せろと迫り……

シネマトゥディより

文句

今年、いやこれまで見た映画の中で最も吐き気を促した最低の手法を使ったクソ宗教映画。B級俳優たちとB級ストーリーを基に無神論者とキリスト教徒を対比させていく、卑怯極まりない、殿堂入り間違いなしの文句が言いたくなる映画。

大学の授業で哲学の教授が授業を始める前に生徒たちに「神は死んだ」と紙に書くように強制し、書かなければ単位をあげないというところから物語はスタートします。そもそもあれだけの他人種、他宗教文化の国アメリカでこんな馬鹿げたことを大学教授が言ったら即刻首になるし、訴えられるでしょう。この映画は実際にあった訴訟を基にしたらしく、エンディングロールに「これらの訴訟にこの映画はインスパイアされました」といったメッセージが出てきますが、詳しい訴訟内容にまでは触れてなく、スタートからリアリティーが全くないのでかなり盛っているはずです。笑えるのが哲学の教授を始め、生徒たちは主人公ジョシュを除いてみんな神を信じないという態で話が進んでいきます。神を信じない人と信じる人の割合が100対1ぐらいにしてあって対比のさせ方にも無理がありました。

なにより最も腹立たしいのは、神を信じる信じないの前に、この馬鹿ストーリーが「神」としているのはイエス・キリストのみで、ほかの宗教を完全に無視しているところです。仏教にもヒンズー教にも触れません。一組だけイスラム教徒の家族が出てくるのですが、案の定その家族は「悪魔」として描いていて、厳格なイスラム教徒の家庭に生まれた娘がなぜか独りだけイエス・キリストを信じているという、これまた限りなく可能性の低い展開をねじ込んできます。

宗教自体はすばらしいものだし、キリスト教の教えに対しても僕は全く反対はありません。でもキリスト教徒以外はみんな悪といった考えはどうかと思います。劇中ではキリスト教徒があたかも迫害されているかのような構図を作り、彼らを被害者にして視聴者の同情を得ようとしている手がミエミエでクライマックスでは他の登場人物たちまでキリスト信者に回心していく、といったタチの悪い手法が使われているのが嫌でしたね。バチカンが出資しているのかとも思いましたが、それにしても陳腐な宗教宣伝映画でしたね。

日本で生活している宗教家の人たちは彼ら独自の世界の中で、あるいは胸の中で神の道を進んでいっているような慎み深さがあるような印象を受けますが、僕の住んでいるブラジルの場合は、国民の大半がカトリックだということもあり、社会の中でキリストを信じることはもはや当然のことといった雰囲気があって、宗教の自由もへったくれもありません。会社の朝礼でお祈りするところもあります。この国で無神論者などと言ってしまったら、政治家はまず間違いなく選挙で落選します。そんな社会だから「神様信じてます」オーラ全開で生きている人がそこら中にいて、なにかに付けて神様を利用するのでむかつくことが多々あります。

仕事を期限までにやらなくても、「私はまだその仕事をやっていません。でも神様が望むなら、明日までには終わるでしょう」とかほざきます。こっちが何か手伝ってあげても、「いやあ、神様のおかげで上手くいったよ」とか言うので、助けなきゃよかったと思います。近所迷惑を考えずにゴスペルや宗教ソングを夜遅くまで爆音で演奏する教会も少なくありません。そんなところに怒鳴り込みに言ったら、そこにいる信者たちは一体どんな顔をするのだろうかとふと想像しますね。

「お前たち、うるせえよ、馬鹿野郎。何がハレルヤだよ。こっちは眠れねんだよ」

「哀れな子羊よ、イエスに対する侮辱ですぞ。イエス様、この男の罪を許したまえ」

「お前の罪はいいのかよ」

問題はいつだって神ではなくそれを信じる、あるいは信じない個人なのです。アホはどうあがいてもアホなわけで、アホが神を悪用するとこういう映画が生まれるのです。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう