
2026年ワースト映画といっても過言ではない、ひと様にとてもお見せできるレベルにはない作品。内容や売り上げはどうでもよく、マネーロンダリングするために作ったのかなと疑ってしまうクオリティーです。マイナス50点
ザ・ランナーのあらすじ
マイア・マーテンはロンドンで暮らす検察官で糖尿病を患う息子ノアを一人で育てている。ある日、犯罪組織のボス、トミー・ボイドの裁判に出廷する予定だったマイアは、ノアを学校へ送り届けた後、ランニングに出かける。
走っている最中、マイアのもとにノアの携帯電話から電話がかかってくる。電話の相手はボイドの手下の男だった。男はノアを誘拐したと告げ、息子を無事に解放してほしければ、自分の指示に従えとマイアに命じる。
さらに男は、マイアの携帯電話をハッキングしており、彼女の行動を監視していると明かす。そのため、マイアは誰かに電話したり、助けを求めたりすることもできない。
「電話の男」に指示され、マイアはゴミ箱のところへ向かう。そこにはノアのリュックが置かれており、中にはボイドが使用した拳銃が入っていた。
男は、インスリンポンプを操作してノアを糖尿病性昏睡状態にしていると告げる。そしてマイアに、警察の警護を受けて「エクセルサス・ホテル」に滞在している重要証人ラディアン・タファを、その拳銃で殺すよう命じる。
マイアは電話を切ることもできず、男と話しながら走り続ける。男はハッキングによって入手したマイアの私生活に関する情報を次々と暴露し、同僚であり恋愛関係にあるテッドについても彼女を挑発する。
マイアは通行人から携帯電話を奪い、テッドにメッセージを送ろうとするが、うまくいかない。さらに男は、マイアの父親が殺された事件について問い詰める。父親を殺したのは、虐待を受けていた母親だとされていた事件だった。その最中、マイアは車にはねられる。数分後、救急車の中で目を覚ました彼女は、すぐに車外へ飛び出す。
男の指示に逆らい、マイアは時間を稼ぐためロンドン地下鉄へ向かう。列車から降りたところで、突然男との通話が切れる。そこでマイアは、自分の携帯電話がスリに盗まれたことに気づくのだった。
ザ・ランナーのキャスト

- ガル・ガドット
- ダミアン・ルイス
- アルフレッド・ルイス・イーノック
ザ・ランナーの感想と評価

「ブラック・シー」、「モーリタニアン 黒塗りの記録」のケヴィン・マクドナルド監督による、緊張感の欠片もないサスペンスアクションドラマ。息子を誘拐されたシングルマザーが事件解決のために走って走って走るまくるだけの話です。
物語は息子を人質に取られた母親が、犯人からある人物を殺さないと、息子を殺すと脅されるという設定のもとで進んでいきます。それには時間、場所の制限があり、実行できなければ大事な息子の命が奪われてしまうため、母親は当然必死で走るという流れになっていて、それだけでエキサイティングなストーリーになると本気で思っている製作者のセンスが疑われます。
そもそもの話なんだけど、学校へ送り届けたはずの子供が誘拐されてんだったら、学校から連絡あるだろうし、学校が警察に通報してるでしょ。誰かしたらが見てるんだから。誘拐犯は通学路のあの人込みの中でどうやって誘拐したんだよ。それになんで母親は息子が校内に入るまで見届けないんだよ。なにが「今日は一人で行ってみな」だよ。絶対ダメだろ。
序盤から一番肝心な設定をすごくいい加減にしてるんですよね。そこにリアリティーがなかったら、その先にどうやって進むんだよって。
どうやって誘拐したかは分からないけど、とりあえず誘拐したってことでお願いしますって感じで無理やりに話が進み、そこからとにかくヒロインを走らせるっていうことに集中していきます。犯人がヒロインを走らせたがある理由もよく分からなかったし、走ったほうが追跡できるからみたいなことを言ってたけど、追跡することが目的なの?ターゲットを殺すことじゃないの?
警察に相談できないという条件も成立しそうもないし、犯人のハッキング能力も都合が良すぎるし、主人公があんな危険な行動を次々に取る理由もわからないんですよ。
登場人物が走り続けてたらハイスピード、ハイペース、ハイテンポの映画が作れるって思ってるふしがあって、すごく浅はかで嫌ですね。なんか「スピード」とか「ラン・ローラ・ラン」風の映画に仕上げたいという意図を感じるんですよね。それにしてもだいぶ昔の映画だけどね。
ヒロインのキャラ設定もちゃんちゃらおかしいですね。元アスリートで長距離の選手だったみたいなちょうどいい経緯も笑っちゃうし、現役の検察官なのにすげえ頭悪いですよね。そんな奴が車に轢かれる→救急車から脱出→地下鉄を走る→警察から逃げる→地下鉄トンネル→橋から船へ飛び降りるといったようにミッションインポッシブルのトム・クルーズ並みに動けるんですよ。だからお前は誰なんだよって。ワンダーウーマンのキャラと勘違いしちゃったのかな。
ガル・ガドットってもっと演技できたような気がするけど、本作ではモデル上がりの素人女優みたいなことになってますね。こんな演技してたら今後仕事もらえないんじゃないかなあ。
ヒロインの両親のエピソードもいらないよね。全カットでいいしょ。それもなんでヒロインが犯人に両親のこと深く語っちゃってんだよって。家族の不幸話するの大好物なのかよ。
一方でダミアン・ルイス扮するサイコパスの犯人もただ電話で話してるだけだし、ぜんぜん俳優の良さをいかせてませんね。最大の疑問は、なんで犯人がわざわざ検察官を使って、ターゲットを処刑しないといけないのかという理由が説明されてないんですよ。プロを雇うか、あるいはあんなに能力高いなら自分でやればよくない?
それも肝心のターゲットが裁判に出廷予定の証人で、彼を殺害すれば被告が有利になるっていう話も無理があるよなあ。裁判ってそんな単純じゃないだろ。それに犯罪組織のボスである被告と犯人がどういう関係なのかも説明されてないから、なんでそんな複雑なミッションをやろうとしてんのかも分からないんですよ。
ボスの命令で動いてるんだったら、あんなサイコパスみたいなキャラじゃだめだろ。なんで単独、愉快犯みたいなキャラにしてんだよ。それにボスがあいつを雇ったのだとしたら、あいつに殺させろよ。なんで殺しについては素人の検察官にやらせるんだよ。
最も馬鹿げているのがオチの部分でしょう。どうやってヒロインはこの危機から切り抜けるのかという本作の柱となる部分があまりにも馬鹿馬鹿しくて怒りが湧きました。そんなことできるわけねえだろという言葉しか出てきません。普通だったら企画段階で没になるレベルのものだけどなあ。なんでこれが企画通ったんだろう。





コメント
予告編だけ見ると1995年のジョニー・デップ主演のニックオブタイムとほぼ同じストーリーですね(^_^;)こちらも映画漢さんからするとリアリティないかもですが、当時の僕珍はこのパターンのお話は初見で、ハラハラしながら見てましたよ。こーゆ一般市民が犯罪&暴力のプロに巻き込まれる系の映画って、フツーに考えたら勝てるわけないんですが、ソレを違和感なく見せるのが監督や脚本家の腕の見せどころですよね。
この手の映画はきついですねえ。
作品の評価は人それぞれですし、設定や展開に疑問を感じること自体は理解できます。ただ、この記事には、作品の欠点を指摘することと、作品そのものを全否定することが混同されているように感じました。
誘拐の手口や警察に相談できない状況、犯人の動機、主人公の行動など、リアリティーの面で疑問を感じる部分があるのは分かります。しかし、それらの不自然さを列挙しただけで、作品の価値がないとまで結論づけられるものでしょうか。
本作は、単に女性が走り続けるだけの映画ではないと思います。息子の命を人質に取られ、時間的にも精神的にも追い詰められた母親が、極限状態で何を選択し、どう行動するのか。その切迫感や、母親としての必死さ、そして追い詰められてもなお自ら判断して行動する主人公の勇気も、作品を評価するうえで重要な要素ではないでしょうか。
私は、ロンドンの街並みを生かした情景描写もよかったですし、ガル・ガドットの演技にも、追い詰められた主人公の気迫が感じられました。シングルマザーとして共感できる部分もあり、少なくとも「2026年ワースト映画」「マイナス50点」と断じるほどの作品だとは思いませんでした。
また、主人公が車にはねられた後も行動を続けることや、危険な状況で次々と判断を迫られることを、現実ならあり得ないという理由だけで批判するのであれば、多くのサスペンスやアクション映画も同じ基準で否定できてしまいます。もちろん、リアリティーは重要ですが、フィクションには緊張感や物語上の必然性、人物の心理を描くための演出もあります。現実との整合性だけでなく、その演出が作品の中でどのような効果を生んでいるかも評価すべきではないでしょうか。
さらに気になったのは、演技についての評価です。主人公の行動や脚本への不満から、ガル・ガドットを「モデル上がりの素人女優みたい」と評し、今後仕事がもらえないのではないかとまで書いていますが、これは演技の具体的な問題点を論じる批評とは言い難いと思います。作品の出来に対する不満が、俳優個人への揶揄にすり替わっていないでしょうか。
批評は、作品の欠点を探して列挙するだけではなく、何を意図した作品なのか、その意図がどこまで実現されているのかを考えることでもあるはずです。欠点を指摘することと、作品のあらゆる要素を否定的に解釈することは同じではありません。
もちろん、この作品を面白くないと感じるのは自由です。ただ、設定の粗さを指摘することと、作品に価値がないと断定することの間には、大きな隔たりがあると思います。
少なくとも私は、本作に情景描写のよさや主人公の気迫、母親としての切実さを感じました。そうした要素を評価したうえで欠点を論じる批評と、最初から否定することを目的としているように見える文章とでは、同じ酷評でも説得力が違うと感じます。