難易度の高いシュールな話を下手なスタッフたちを集めて作った失敗作。こんな映画で脱がされた女優たちはたもったもんじゃないです。10点
ばるぼらのあらすじ
人気小説家の美倉洋介はある日、新宿駅の近くで酔ったまま路上で寝ているばるぼらと出会う。どういうわけかばるぼらに惹かれた美倉洋介は彼女を自宅に連れて帰る。
ばるぼらは人懐っこいが、ずぼらでだらしない無神経な性格の女だった。やがてばるぼらが美倉洋介の小説を茶化すように読み始めると、それに激怒した美倉洋介が彼女を家から追い出す。
ところが後日、美倉洋介がふらっと入った洋服屋の店員に誘惑されて彼女を抱こうとすると、突然そこにばるぼらが現れ、店員の女性を殺してしまう。そこで店員は人ではなく、ただのマネキンであったことに美倉洋介は気づく。彼は異常な性欲の持ち主だったのだ。
それからもばるぼらは度々美倉洋介の前に現れては消えていった。彼女が近くにいると、美倉洋介の創作意欲が増した。
ばるぼらのキャスト
- 稲垣吾郎
- 二階堂ふみ
- 渋川清彦
- 石橋静河
- 大谷亮介
- 渡辺えり(渡辺えり子)美波片山
- 萌美
- ISSAY
ばるぼらの感想と評価
手塚眞監督による、手塚治虫の同名コミックを基にした低レベル官能ファンタジードラマ。セリフ、演技、演出、BGM、脚本が下手すぎてまともに見れないです。
ざっというと、人気小説家と不思議ちゃん美少女の破滅的恋愛ドラマで、そこに安っぽい芸術論やギリシャ神話に登場する芸術家を守る女神ミューズをテーマに掛け合わせたものです。
まず、オープニングからセンスの欠片もない映像とミスマッチなジャズが流れ、かなり耳障りです。ジャズを流しつつ、新宿の街並みを映しながら、稲垣吾郎のナレーションが聞こえて来たら、もう何一つ心地よいものがありません。
そして地下道でホームレス同然に寝ているヒロインが登場する時点で、メイク、髪型、衣装、わざとらし道の汚れ具合を見れば、すぐにこの映画のレベルが伺えます。それはまるで金のない劇団が作った手作り舞台のワンシーンみたいで、現実感もなければ、かといってシュールという言葉も似合わないほどB級路線を行っています。
原作がそうだからしょうがない、といえばそれまでだけど、そもそも人気売れっ子作家が、新宿の道端で酔っ払って寝ているような小汚い少女を家に連れて帰ったりしないじゃん。未成年かもしれないのに。
それでいざ、家に連れてきたら、ばるぼらは家のものを手あたり次第に触り出して、いちゃもんをつけだす、ただのうざい女でしかないっていうのがギャグですね。
そんでもってシャワーを浴びさせた直後に、タオル姿のままで家を追い出すって、そんなことしたら恨みを買われて、週刊文春にネタを売られちゃうよ。
時代設定をモラルがすっかりうるさくなった現代にしちゃうと、もう最初からそういった突っ込みどころしかないんですよ。
それでも主人公の小説家は異常性欲の持ち主だから理にかなっている、という言い訳で対抗しようとすることもできるでしょう。確かにマネキンや犬とやろうとするぐらいなんだから異常なんでしょうね。
でもだったら、なんでいざばるぼらとのシーンではノーマルなんだよ。普通にお行儀よく、ベッドで、ジャニーズの女性ファンが喜ぶようなロマンチックな感じにしてたじゃん。どこにも異常性ないじゃん。ただの紳士かよ。
で、そんな見せ場のシーンでも不必要なうるさいピアノが流れるんですよ。なんだろうね、あのセンスは。
結婚式の儀式のシーンで笑わない人はおそらくこの世にはいないでしょう。何もわからず全裸にさせられる小説家、というか稲垣吾郎の姿がもはやコントになっちゃってて、儀式そのものも完全に「アイズ・ワイド・シャット」のパロディーなんですよ。
それもなぜか突然儀式は警察が突入してきて中止になり、麻薬所持容疑で小説家が逮捕されてしまう、というオチが待っています。全裸のほうは公然わいせつ罪に問われないんだ。
そしてその後の展開は破滅的なエピソードに終始し、なぜかばるぼらが死んでしまい、小説家の男は死体の横で創作意欲に火が付き、新作を描き始める、というのがストーリーの全てです。
お願いだからこの作品を通じて芸術とか、創作の苦悩とかについて議論を咲かせないでもらいたいです。正直、こんな質の映画で、漫画の神様、手塚治を引き合いに出すこと自体がおこがましいんですよ。
本当、稲垣吾郎と二階堂ふみの裸が見たい人だけが見ればいい映画で、そもそも誰もストーリーなんて見てない可能性ありますね。
コメント
こういうシュールな作品は撮り手を選びますよね。
思いつく限りだと、デビット・リンチとかヨルゴス・ランティモスとかだったら、それなりに観られるものに仕上げていた気がします。
演者のレベルもあるので、誰が撮っても日本人キャストだったら同じだったかな、ともおもいましたね。