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映画人魚の眠る家はもはやギャグ&ホラー!感想とネタバレ

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この記事は 約5 分で読めます。

真面目なテーマもダメな奴らが映画にするとギャグになる、という見本。思考停止した人たちが「考えさせられるぅう」とか言い出しそうな怖い作品です。22点(100点満点)

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映画人魚の眠る家のあらすじ

播磨薫子と和昌は離婚寸前の夫婦。せめて娘の瑞穂の受験が終わるまで関係を続けようと踏みとどまってきた二人は、受験の面接日に娘がプールで溺れたことを知らされる。

瑞穂はプールの排水溝に指を挟んで抜けなくなり、あろうことか脳死状態に陥ってしまった。

回復の見込みがないと医師に判断され、脳死判定をして臓器を寄付しようと考えた夫婦だったが、脳死判定の直前にかすかに瑞穂の指が動いたことで彼女はまだ生きていると実感し、臓器移植をやめ、延命治療を続けることにする。

やがて自宅治療ができるようになるまで瑞穂の健康状態は良くなるものの、依然として意識は戻らないままだった。そんな彼女に母親の薫子は、ハイテク機器を使って電気信号を送り、体を動かせることに成功する。

しかし薫子は、娘の世話に全てを捧げていく中で次第にエゴをむき出しにして精神を病んでいく。

映画人魚の眠る家のキャスト

  • 篠原涼子
  • 西島秀俊
  • 坂口健太郎
  • 川栄李奈
  • 山口紗弥加
  • 田中哲司

映画人魚の眠る家の感想と評価

イニシエーション・ラブ」など、駄作を作り続けて30年のキャリアを誇る堤幸彦監督による、シリアスなテーマを意図せずギャグとホラーに仕上げてしまった闘病家族ドラマ。

つまらない小説を書き続ける東野圭吾がデビュー30周年の記念に書いた小説の映画化です。

演技は見るに堪えないし、演出は古いし、絵面はセット丸出しだし、こんなレベルの商品を売っても感動してくれる人がいるんだから、日本の映画市場なんてある意味楽勝ですね。

とにかくダメな邦画の典型的な路線をきっちり走ってますね。ダメな映画のパターンその一、テーマがやたらとでかい。

テーマはずばり、人間は何をもって「死」とするか。脳が機能しなくなったら「死」なのか、それとも心臓が止まったら「死」なのか。

つまり人の死をめぐる人間の尊厳や倫理観を語っちゃおうぜ、描いちゃおうぜ、というもので、おそよ脳死などの問題に直面したことのないアホんだらが想像で面白おかしく描いただけの代物です。

脳死した娘を持つ夫婦が豪邸に住んでいて夫は社長でお金も無尽蔵にあって、治療代のことなんて問題じゃないよってな具合に話が進んでいくのがまずダメですね。

そんでもって夫の会社がIT系機器メーカーで、そこの社員が開発した機械を使うと、脳死した娘の体を動かせるようになって健康状態が向上するってどんだけ都合いいんだよ。

また、社員はプライベートを削って毎晩のように面倒を見に来てくれる、という有様で、ありとあらゆる現実問題をすっ飛ばしてるのがさすがでとしかいいようがないです。

脳死した人のケアにかかる時間的問題、金銭的問題、労働的問題の全てを善意だけで片付けようとしているのが腹立つし、そのうえでモラルや尊厳を語られても困るんですよ。

電気を流せば体が動くっていう下りはもはやコントで、リモコンで腕や顔の表情までコントロールし出したりして、無理やり動かされている娘の姿を見て喜んでる母親とかホラーでしかないです。

あと、セリフがいちいち「誰もそんな状況でそんなこと言わねえよ」なセリフですよね。「あなたが娘を育てるみたいなもんなのよ」っていうのを看病に来た男性社員に言うお母さんもどうかしてれば、「私のほうが娘さんに対して父親らしいことをしてます」って社員本人がお父さんに断言しちゃうところもやばいですね。

クライマックスシーンは、母親が暴走するシーンなのでしょうか。ダメな邦画のパターン、その二。クライマックスでやたらと大声で感情的に話し、視聴者を泣かせようとするものの、実は無茶苦茶なことをしてる。

母親が何をしたかというと、娘に包丁を突き刺そうとして寸前のところで止めておいて、自ら警察を呼んで、「ねえお巡りさん、娘はすでに死んでるんだから私が殺しても罪には問われないでしょ? もし罪に問われるのなら、それは生きてるってことだよね?」という馬鹿な質問をするのでした。

いやいや、それを弁護士とか裁判官とかに聞くならまだしも、ペーペーの警官に聞いてどうすんだよ。「いや、私は医療系の法律のことはそんなに詳しくないので」って言われてお終いじゃん。

普通だったら子供に包丁を突き立ててるんだから、あのバカ女は射殺されないとおかしんですよ。それなのに警官はおろおろするだけで、そこからはお父さんだ、子供だ、友達だが、飛び出してきてのお涙頂戴劇場が始まるのには爆笑するしかなかったです。

それになんで子供を殺そうとしたバカ親があの後、平然と暮らしてるんですか? 逮捕されないの? もっと一つ一つのことちゃんと描こうよ。

ラストは、視聴者を泣かすためになんとなく響きのいいエピソードを詰め込み、それが逆にギャグになっていましたね。

まず、娘が夢の中でお母さんにお別れを言ってきて、その直後に息を引き取ります。命日は息を引き取った日じゃなくて娘がお別れを言った日なんだってさ。

あれだけ「死」に対する細かい定義を法律を引き合いにしながら描いてきたのに最後はスピリチュアルな答えを提示して終わらせるっていう逃げ方すごいな。

挙句の果てには反対だった臓器移植についても「娘もきっとそれを望んでいるはずだから」などと、手のひら返しで認めるのが最高でしたね。

でもそれだけじゃないんですよ。ラストのラストではさらなるオチが待ってました。臓器移植してもらった少年が、導かれるように外を走って行って、家族が住んでいた場所に行くのです。なんてサプライズなんだろう。

最新の臓器移植にはGPSが一緒に搭載されてるのか、臓器提供者の住んでた場所が分かるんだってさ。それも走って数分で行けるところに臓器提供者が住んでたんだから、すごい狭い世界だよね。なんなら心臓を手で持って渡しに行けばよかったじゃん。

あんなに娘の死を受け入れられなかった家族が、死んだらすぐに家を更地にしてるっていうところもシュールですねぇ。お前らは、切り替えが早いのか遅いのかどっちなんだよ。

コメント

  1. yuzi より:

    映画は未視聴なのですが、私が原作を読んで抱いた違和感が的確に表現されていて思わず頷いてしまいました。

    >脳死した人のケアにかかる時間的問題、金銭的問題、労働的問題の全てを善意だけで片付けようとしているのが腹立つし、そのうえでモラルや尊厳を語られても困るんですよ。

    脳死者とその介護という現実にもある出来事を題材にしているにもかかわらず、その辺りをあまりにも都合よく済ませすぎでしたね。
    リアルだと脳死の子供を持つ両親は褥瘡防止の体位変換や呼吸器の痰の吸引のため、夜間も二時間おきに起きる生活が普通だそうです。脳死者を家で介護するには避けては通れない大変な問題がSF要素で曖昧になってしまっています。
    物語の舞台がお伽話に出てきそうな洋館というのも、そういったごまかしに拍車をかけていてマイナスな印象です。
    決してきれいごとでは済まない話をきれいごとにしてしまっていると感じました。

    >あれだけ「死」に対する細かい定義を法律を引き合いにしながら描いてきたのに最後はスピリチュアルな答えを提示して終わらせるっていう逃げ方すごいな。

    私も、これははっきり逃げだと感じました。デウス・エクス・マキナ的な解決法とでも言うか…。
    脳死になった人が夢枕に立って自分の意志をはっきり告げてくれるなら、脳死に関わる諸問題の議論はぐっと前進することでしょう。そんなことは現実には起こりえないからこそ家族は苦悩するのだと思うのですが。
    瑞穂が夢に出てくるだけならばまだ薫子の深層意識で子供との別れを受け入れる準備ができたからとも解釈できましたが、そのときを境に体調がどんどん悪化し始めるというのはあまりにも出来すぎています。

    ラストのラストの展開も本当に微妙でした。
    これほどの重い問題を取り扱っておきながら、少年の淡い恋心のようなものを持ち出してなんとなくいい雰囲気にしてしまうのかと。
    映画では描写されていたかどうか分からないのですが、原作だと少年は冒頭で脳死状態の瑞穂に出会って一目惚れしているふうなんですよね。でもそれって瑞穂が美少女だから、そしてたくさんのお金をかけて健康な人間が眠っているだけのように見える容姿を保っているからこそ起こりえたことだと思うんです。
    もし瑞穂が不細工だったり、喉に呼吸器をつけていたり手足が拘縮していたりしてはっきり普通とは違う状態だと分かる見た目だったら、それでもこの少年は一目惚れしていたでしょうか。たぶんそうはならなかったと思います。
    散々引っ張ってきた重いテーマを最後に恋愛ファンタジーにしてまとめてしまうこの結末は、私にはどうにもグロテスクなものに感じられました。

    総じて世間の評価ほどいい作品とは言えないなというのが私の感想です。すごい売れっ子ですし、『人魚の眠る家』も含めて東野圭吾作品はおもしろいと思っているんですけどね。
    この人の書いた他の小説を見ていても思うんですが、たぶん作者には健気に頑張っている母娘(特に母子家庭)に対する崇敬と憧れみたいなものがあるんだろうなぁと。
    『容疑者Xの献身』や『分身』にも近い要素がありましたよね。健気に生きる母娘(と、それを陰ながら助ける男≒俺)という設定が好きなんだと思います。
    ミステリーやサスペンスの中にメロドラマ的要素あり、というのは売れ筋の作品傾向だと思いますし、東野圭吾が圧倒的に大衆受けしているのもこの辺に理由があるのかなとも思います。(個人的には新海誠もけっこう作風が近いなと思っています)
    ただ安易なメロドラマ要素は、ともすれば物語を安っぽくしてしまいかねないと思うので、この作品では扱うテーマが重いために特にそれが目立ってしまっていたかなと感じます。

    • 映画男 より:

      とにかくリアリティーがなくて、見る気が失せる映画でした。

      • 今日も生きる より:

        当事者、母です。
        事故で被害に遭い、まだ幼い我が子がこの映画と同じような状況で今も懸命に生きています。

        この映画の後に、まさか我が子が事故に遭い臨床的脳死と言われる状況になるとは、この母親の狂気ともいわんばかりの気持ちがわかります。
        まさに今の我々夫婦です。
        これはもうダメかもわからんね

  2. 今日も生きる より:

    (途中で送ってしまいました)

    医療者にどんな言葉を言われても諦められるはずがありません。成長していく愛しい我が子。全てを投げ打って命懸けで守ってます。ただ我が子のその温もりを明日も感じるために。

    これを言うと終わりですが、当事者にしか分からない狂気でしょう。
    それも我が子だからです。

    ただ、我々は臓器提供はしません。
    臓器提供のドナーの摘出手術の実態を知れば、賛成して我が子を差し出す親がいるのか疑問です。痛みに反応し涙流す我が子をただ心臓保つために大した麻酔もせずに切り裂くなんて、綺麗事でしかありません。

    当事者家族からすると、映画の親の気持ちには大いに共感です。でも、臓器提供こそ美談という点だけはお前の子どもの臓器も差し出せと迫られてる苦しさがあることも事実であり、臓器提供を美談のような描かれ方はリアルに苦しいですね。

    • dg より:

      大変な思いをされているのですね。
      私は臓器提供というシステムそのものには賛成ですが、一方でそのことによって誰かが肩身の狭い思いをするようなことがあってはならないと思います。
      脳死の状態で生き続けている人に対して厳しい見方をする人は現実にいるでしょうし、私自身その気持ちは分からなくはありません。自分が当事者か、その家族か、あるいはドナーかレシピエントか等、立場によっても意見の大きく変わる問題ではないかと思います。
      もう目を覚ますことがない、意識や感覚もないであろう人をお金、それもたくさんの税金を使いながら生かし続ける意味があるのか。それならばせめて臓器提供して誰かを助けてはどうか。そういった意見は尤もとも感じられるのですが、一方で家族からすれば例え脳死の状態であっても我が子がそこにいてくれることが毎日を生きる希望になるのは当然のことと思うからです。
      映画批評からは逸脱したコメントですが、苦しい境遇にある人にどうしても何か言いたくなってしまいました。管理人さんすみません。

  3. ユミカ より:

    実母より好きだった義母が脳死状態になりました。持病があった為に臓器提供は不可でしたし、自宅介護の話も出ない内にあっという間にこの世を去りました。原作を書店で見つけた時は、50代の脳死状態の子供を介護する80代の夫婦を想像していました。買わずに試し読み出来て幸運でした。こんな都合の良い設定は小説だからこそでしょ。作者の妄想に付き合ってやる程ヒマと申しますか、余裕はありませんからね。危うく見てしまうとこでしたから、助かりました、ありがとうございます。