2017/08/06

猿の惑星:聖戦記(原題WAR FOR THE PLANET OF THE APES)

お行儀のいい猿たちが繰り広げる生存劇を映像とアクションで見せるシリーズ最低作品。猿の会話がタメを作りすぎて眠くなります。

猿の惑星:聖戦記のあらすじ

シーザー率いる猿の種族はある日、森林でアメリカ軍の攻撃に遭う。ハイテクの武器を持ったアメリカ軍によって多くの仲間を失った猿たちだったが、なんとか人間たちを制圧することに成功する。

部隊に猿を皆殺しにするようにと指示を送っていたのは冷酷な大佐だった。それでもシーザーは身柄を拘束した軍人たちを釈放し、大佐のもとへと返すように命じる。猿と人間の戦いを始めたのはシーザーではなく、シーザーは争いを望んではいなかったのだ。

ところがしばらくするとシーザーたちの隠れ家に大佐率いるアメリカ軍の部隊が再びやって来てはシーザーの息子と妻を殺害してしまう。

シーザーは仲間たちを安全な砂漠へと送り込む一方で、自分は家族を殺された復讐を図るため数人の仲間と共に大佐のいる基地へと向かう。

厳しい雪を越えてたどり着いたその場所はボーダーと呼ばれる秘密基地で、捕まえられた猿たちが捕虜として壁の建設作業をさせられていた。そしてシーザーまでもついにアメリカ軍に身柄を拘束され、手錠で繋がれてしまうのだった。

猿の惑星:聖戦記はつまらない

クローバーフィールド」のマット・リーヴス監督による、お猿さんシリーズの9作目。やたらと賢いお猿さんと知能の低い人間たちが戦うお話です。

猿目線で物語が進んでいき、猿をこれでもかというぐらいヨイショした、猿のためにある映画です。ただ、猿たちがあまりにも進化しぎているため、果たして「猿」である必要があるのかという疑問が沸いてきます。

だって馬を乗りこなしたり、英語を喋ったり、手話を使ったり、機関銃をぶっ放したりするんですよ。それってもう人間じゃん。

猿の惑星とか言いながら、猿の特徴を奪うんだったら、結局、猿じゃなくてもいいんですよ。アメリカ人の敵になりうる存在だったら、ロシア人だっていいし、北朝鮮人だっていいんです。

テーマは、人間や猿が絶滅の危機に立たされた自分たちの種族の生存をかけて戦うという壮大なもので、まんま国同士の戦争に猿を無理やり詰め込んだだけの世界になっています。

それにしてもいつまで続くんですかね、このシリーズ。1968年公開の「猿の惑星」はちゃんとオチもあったし、アイデアで勝負してたんですよ。

それが新シリーズは映像ばかりに力を入れていて、ストーリーがダメダメですね。猿が面白いことをしてくれるならまだいいんですけど、理論派で、理性を働かせ、規律を守る仲間思いな猿しか出てこないので、全然面白くなかったです。全然アニマルじゃないんですよ。それでも猿かよって。

ストーリー上の都合で、猿が英語を喋るのは目をつぶりましょう。でもそれならそうと、猿の全員が英語を喋るようにしたらいいのに英語を話せるのは数匹で、ほかの猿たちは手話による会話というのが笑えました。同じ時代を生きる同じ種族のはずなのに進化のスピードにどんだけ差があるんだよって。

猿の手話には字幕が入るんですが、字幕を目で追っていくのがまあ面倒くさいです。そうかと思ったらコミュニケーションを取っていないところではずっとウホウホ言ってるっていうね。たまに英語が喋る猿がいると、片言の英語だったりして、知能レベルに違いを出すこだわりが逆効果に働いていました。

猿の中で一匹、ダウンジャケットを着ているバカ猿がいます。こいつがまた腹立つんですよ。やめておけばいいのに下手な笑いを狙っていきます。双眼鏡を逆さに覗いて「小さい」とか言ったり、最後まで滑りまくって、やらかしてくれました。

一番、ひどいかったのは猿のリーダー、シーザーが裏切った仲間に対して言った一言です。

「お前は、猿のくせに人間からドンキー(ロバ)と呼ばれて悔しくないのか!」

自意識まで人間かよ。もっと猿らしくしろ、猿らしく。

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